またまた第三波の来襲あり、今度は電撃機が魚雷攻撃をかけて来たので、その内の二発が前部左舵命中し、水柱が前部艦橋より高く上がる

次いで中部に三発、後部に二発、右舵後部に一発魚雷が炸裂した。大和は左に10度ほど傾斜し、艦内は一瞬修羅場と化した

巡洋艦「矢矧」がいつの間にか沈没して姿が見えない

またまた四波が来襲してきたので、大和も敵機と交戦する。今度は左舵中部に二発、後部二発魚雷を受ける(魚雷数合計12発)。その時、後部の操舵機が故障したため大和は左旋回して直進できず、戦闘航海が出来なくなってしまったのである

そこで有賀艦長は戦闘中止を発令することとなった。その時大和は左へ大きく約30度程傾斜していた。次いで戦闘員総員最上甲板へ退去せよとの命令が出た。私は大村兵長と測的所の窓から脱出した
海面を見ればあまりにも高いので飛び降りるのをやめ、大村兵長と二人が十五メートル測距義に跨り暫く飛び降りる時期を考えていた

その時測的所の電源が切れたため二人の重みで測距義が動き二人が海に落下、海中にて渦に巻き込まれると同時に「大和」が二回誘爆する

海中がオレンジ色に光る。大和は午後2時23分沈没した

やっとの思いで海面に浮かんだ、海面は多量の重油が浮いていた。大村兵長も浮上し二人で、約2m程度の丸太につかまり救助を待つこと4時間、まだ4月だからまだ海水は冷たい
いよいよ下半身が利かなくなってきた。やがて日没近くなる頃、駆逐艦「冬月」・「雪風」・「涼月」の三隻が救助に来る。私と大村兵長とは雪風に救助される

先ほどまでの悪戦苦闘の戦場は、今は平常と変わらぬ海面となって不沈戦艦大和の最後は誠にあっけないものであった

丁度悪夢から目覚めたようでただぼう然としているだけだ

総員3332名、内生存者269名

翌8日の朝方、駆逐艦雪風の上甲板に出て大きく息を吸う。朝の太陽の光が目に入る。今ここに生存していることを確認、大村兵長と拍手して喜び合った

やがて正午前、佐世保港に無事帰る

(北川茂氏=元海軍水兵長・戦艦大和の記憶より)