古の人は西国浄土の山と崇めた二上山

右が雄山、左が雌山

味酒(うまざけ)三輪の山あをによし奈良の山の山の際(ま)にい隠るまで道の隈い積もるまでにつばらにも見つつ行かむをしばしばも見放(みさ)けむ山を心なく雲の隠さふべしや・・・額田王、近江国に下りし時作る歌

反歌

三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや…天智天皇

大和政権は百済救済のために朝鮮半島に援軍を出しますが、「白村江の戦い」で大敗し、百済は滅亡
唐、新羅の連合軍が日本列島に攻め込んでくると云う国際的な状況の中で、天智天皇は、明日香から近江国へ遷都することを決意された
三輪山に坐す大物主神は、王権にとっては絶大なる偉大な守護神であり、三輪大神の守護なくしては王権の存続はなく、またその怒りに触れることを最も畏れました

そこで当世一流の巫女歌人・額田王をもって三輪大神を慰撫し、益々の加護を乞い願いつつ、言葉を尽くした歌を作らせました
近江遷都に際しては、山の辺の道を北上して、大和と山代の国境の奈良山まで振り返り、振り返りながら、なつかしい三輪山の姿を見つつ、やって来ましたが、ついに国境で三輪山の姿が見えなくなります
大和の国つ神である三輪山の大物主神との惜別の情を心込めて歌い上げた額田王のこの歌は、万葉集の秀歌の中の秀歌であります

天智天皇は、この後すぐに近江の国に三輪大神を勧請されます。現在の日吉大社のあの有名な山王祭りの「西本宮」の社殿がそれです

(大神神社崇敬会会報・鈴木寛治宮司)