巻向に都を造る。是を珠城宮と謂ふ…日本書紀・垂仁2年10月条
しかし、正確な所在地は分かっていない
石室は花崗岩の丸石を乱石積みにし、その間隙に安山岩系の塊石を用いた片袖式石室で、玄室の天井は3枚の花崗岩で構築されています
(写真を右90度反転してご覧ください)
東端の1号古墳は、昭和30年の発掘調査では、玄室の中央に凝灰岩の組み合わせ式箱形石棺が破壊されながらも残っており、2体分の遺骨と多くの副葬品が検出されました2号墳と3号墳との間に30数個の埴輪が一直線上に並んでいるのが確認されています。これは両古墳の境界を示していると考えられています
埴輪は高さ20~40cm程度のもので、大部分が円形の透かし穴を持つ円筒形であるが、楯形、朝顔形も混じっていた
珠城山古墳からも二上山が望めます3号墳の前方後円墳。背中の部分が一本の道になっています
大和三山も一望できます。手前は畝傍山
箸墓古墳
3号墳の前方後円墳の直線状に二上山があります