4月12日、京都での葬儀の帰り、JR奈良線から桜井線へと乗り継ぎ、巻向駅まで足を延ばした
倭は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる倭しうるはし…景行天皇記
周囲を山々に隠された奈良盆地の平野部は「国のまほろば(優れた場所)」と詠まれた
その東に青垣が聳え、麓に一本の古道が残されている

わが国最古の古道・山の辺の道である

南の起点となる三輪山467m

巻向の在所には春の花が咲き誇っている
桃源郷
北に向かって巻向山・龍王山・菩提山・高円山・春日山・三笠山と連なっている
山の辺の道はこれらの山の裾野を曲折する自然道である
山の辺の道とは、山のほとりに沿った道のことを言う
古事記に崇神天皇陵を「山の辺の道の勾の岡の上に在り」、
景行天皇陵を「山の辺の道上陵に葬りまつる」とあり、柳本付近に山の辺の道という呼称があったらしい
4世紀ごろ、三輪山山麓を中心として、初期ヤマト政権と言われる三輪王朝が誕生した
そして、この周辺には巨大な前方後円墳が出現し、宮が営まれ、神々が祀られた
5世紀になって河内からの新勢力が三輪王朝を吸収し、新たなヤマト政権である応神王朝を樹立した