27日・17:00、JR東海道線・島本駅前
国指定史跡桜井駅跡(楠木正成伝承地)
奈良時代の始め、平城宮と各地を結ぶ交通路を整備するために駅(うまや・駅家)が設置された
そのうち、京から西国へ向かう道筋に設置された駅の一つに「摂津国嶋上郡大原駅」が続日本書紀に記されており、これが桜井駅のことを指すと考えられている駅とは、大化改新以降、幹線道路に中央と地方の情報を伝達するために馬を配置した役所のことで、30里(約16km)毎に設けられた
京と山陽道を繋ぐ道は西国街道と呼ばれ、古来栄えた街道筋であるが、桜井駅の実態についてはよく分かっていない
しかし、延元元年(1336)足利尊氏の大軍を迎え撃つために京を発った楠木正成が、桜井駅で長子の正行に遺訓を残して河内へ引き返らせたことが太平記に記され、桜井駅は「楠公父子訣別の場」して広く知られるようになりました楠公父子子別れの石像
よく奈良県の桜井と勘違いされている御仁が結構多いのに驚いています
昭和6年に建てられた大碑で、書は伯爵・東郷平八郎海軍元帥です
子わかれの松のしつくに袖ぬれて昔をしのふさくらゐのさと6枚目の写真、「楠公父子訣別之所碑」は
大正2年7月に建碑式典の折、陸軍大将・乃木希典が書いたものである
なでし子にかかる涙や楠の露…芭蕉太平記十六「正成兵庫に下向の事」には、足利尊氏との戦いに死を覚悟した正成は、桜井の駅に正行を呼び寄せ、今後の生き方の教訓を与えた
その後、生き別れの宴を催し、正行は泣き泣き河内の国へ帰った
今晩、T・H氏の前夜式がここ島本で行われました
亡くなる前日まで任務をこなされた仕事人でした
与える喜び、与えられる喜びが、が口癖でした
ご冥福をお祈り申し上げます<m(__)m>