大正14年(1925)、志賀直哉は山科から奈良の幸町の借家に居を移した

奈良への引っ越しを決めたのは、かねてからの憧れであった奈良の古い文化財や自然の中で、自らの仕事を深めてゆきたいという希望からであった

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作曲家の菅原明朗や画家の九里四郎など、奈良に強い憧れを持っていた多くの友人たちの強い勧めによるものであった
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この高畑裏大道一帯は、東の春日山の原始林、北には春日の杜を透かして飛火野の緑が展開する風光明媚な屋敷町で、新薬師寺や白毫寺にも近い
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やがて多くの文化人が出入りすることになる
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周辺は鎌倉時代から春日大社の神官たちの住んでいた社家の跡である

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古い屋敷跡の土塀や古い柿木などが春日の杜に調和する風情に多くの画家たちが心惹かれ志賀直哉と前後して高畑に住み着いた
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志賀邸はこうした人々のサロンのようになり文化活動の核となっていた
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奈良での充実した生活も心に更なる発展を促す時が来る
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奈良の古い文化や自然の中に埋没して時代遅れになろうとしている自分を見、また子供の教育を考え東京へと居を移したのである
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とにかく、奈良は美しいところだ。自然が美しく、残っている建築も美しい。そして二つが互いに溶け合っている点は他に比を見ないといって差し支えない

今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名画の残穴が美しいように美しい

志賀直哉旧居を後にし、入江泰吉写真記念館に立ち寄った

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