古郷之(ふるさとの)飛鳥者雖有(あすかはあれど)青丹吉(あおによし)平城之明日香乎(ならのあすかを)見楽思好裳(みらくしよしも)…万葉集6
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新しく移った元興寺の寺地が平城の飛鳥と呼ばれました
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大伴坂上郎女がこの歌を詠んだのは天平5年(733)
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元興寺の格付けは、東大寺が4千町歩、元興寺は2千町歩、大安寺・薬師寺・興福寺が1千町歩、法隆寺・四天王寺が5百町歩でしたから高い格付けだったことが分かります
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天平勝宝4年(752)、東大寺の大仏が完成し、元興寺の僧が3首の献歌を行いました
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その1首

美那毛度乃(みなもとの)乃利乃於古利子(のりのおこりし)度布夜度利(とぶやとり)阿須加之天良乃(あすかのてらの)宇太々天万都留(うたたてまつる)…東大寺要録

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孝謙天皇・聖武太上天皇以下文武百官の居並ぶ大仏殿の式場で詠われた
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元興寺は平安時代の前半期までは、南都七大寺の中でも各方面で指導的な役割を果たし、名僧を輩出し仏教の発展に寄与した
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盂蘭盆会、灌仏会、文殊会、仏名会などは元興寺から起こりました
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平安京に住む貴族たちにとって南都七大寺を巡礼することが心の古里を訪ねることであり、最上の楽しみでした
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