9:34分、下山開始
周りの眺望が全く見れなかったが、大きな達成感を味わうことが出来ました
大きなケルンが作られています
昨晩小屋で、週に4~5回は穂高に登っている地元の御仁に話を伺いました
前穂高では滑落現場を何回も見ています。雨で足場が悪いから十分気を付けるように、アドバイスを受けました。御仁は明日は雨なので、私は登りませんと言われていました
御仁の言葉を思い起こし3点確保はもちろん、急な岩場では四足歩行に加えてお尻まで使い慎重を期しました
穂高登山史上忘れることが出来ない功労者は、上條嘉門次と今田重太郎氏と言われている
涸沢にテント村が出来、西穂高には新穂高温泉よりロープウェイが架けられ、山小屋が整備され、登山道も拓かれた
しかし、穂高の一角には山人でなければ到達できない秘境がたくさんある
穂高は登山者にとっては永遠の故郷であり、常に厳しい師であり続けるだろうし、またあらねばならないと思うのである・・・徳久珠雄
穂高の語源は、穂は秀の意で、優れて高い山の意
また穂高はホコ(火子・火神)と読むべきであって、穂高見命(ホコミノミコト)すなわち火神を祭ったとする説もあります
昔は穂高大明神の山と称し、嶮山にして登ること能わず、と言い伝えられてきた江戸時代には全体を穂高岳と称し、前穂高岳が長い間最高峰と思われていた
各峰に名称がつけられたのは明治42年、鵜殿正雄によるものが多かった
西穂高岳も初めは南穂高とよばれ、大正2年の旧陸地測量部の地図には前穂高岳となっており、大正13年、大島亮吉によって西穂高と命名された
穂高の岩峰の姿が御幣の形に似ているところから御幣岳と呼ばれた時期もあるという今回のリーダS・Yさんも山に魅せられている一人です。私には「山しかないら」が普段から口癖で、山女・山師ですね









