6:48分、明神岳の雪渓

穂高山荘は奥穂高岳と涸沢岳の鞍部「白出のコル」2996mに位置する

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白い可憐な花

コルは岐阜県と長野県の県境であり、玄関は長野県、裏側は岐阜県

涸沢からのザイテングラート、新穂高温泉からの白出沢、そして北穂高岳ー前穂高岳・西穂高岳の縦走路が交わる稜線の交差点でもある

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2番目に長い梯子

穂高小屋を建てたのは穂高の名ガイドと呼ばれた今田重太郎

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この程度のガレ場は足元だけ注意すれば問題はない

明治31年(1898)、岐阜県上宝村蒲田温泉に生まれた重太郎は、大正10年(1921)23歳の時、穂高岳登山の案内人となる

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樹木や草が生えているところはまだ大丈夫

登山が一般大衆に親しまれ始めた大正登山ブームといわれる時代だった


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樹木が少なくなり、ハイマツに変わる

ある日、山案内人として穂高岳を歩いていた重太郎一行は嵐に見舞われ、ビバークを余儀なくされた

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高度が増す

登山者の安全を守る山小屋の必要性を痛感し、白出のコルに小屋を建てることを決意した

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視界もかすかに見える程度

大正12年(1923)、実地調査に着手し、翌24年白出のコルに石室を造る。そして25年、コルの飛騨側に穂高小屋が完成した

山彦耀のブログ この辺りから危険度が高くなります
重太郎はその生涯を通じて、登山者の命を守り、登山者が安全に体を休めて英気を養える快適な山小屋造り、登山に慣れない女性や子供でも安全に通れる登山道造りを目指した
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7:19、岳沢パノラマに着く

パノラマといっても何も見えない

二代目・今田英雄は重太郎を「人の倍力があって、人の3倍仕事をする。何かをやろうとしたら、ものすごい情熱を以ってやり遂げる人でした、と語る

「僕は穂高に生かされている」生前、重太郎がよく口にした言葉である

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