13日12:53分、岳沢分岐

4年前、西穂高登山の帰り、岐阜県上宝村蒲田栃尾温泉にある料理店「喜楽」に立ち寄った

そこで頂いた穂高山荘85年の歩み「天空の輝き」(著者:内田修氏・発行穂高岳山荘)から穂高の歴史を紹介しながら今回の登山記を紹介して参ります

実は小生のペンネーム山彦耀の前は天空耀でした⇒偶然で驚いています

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喜楽の店主・松井義雄氏は,穂高山荘開設者(重太郎新道の開設者でもある)である今田重太郎氏の次男として昭和10年に誕生した

記憶が曖昧なので間違っているかも知れませんが、実母方の松井姓になっている

長男は金次郎氏

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今田重太郎氏は明治31年(1898)に上宝村蒲田温泉で生まれた

前年の明治26年8月、測量官・舘潔彦、上條嘉門次が前穂高岳登頂。W.ウェストンも上條嘉門次の案内で登頂している

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明治40年、白馬山荘開業

大正2年(1913)8月、W.ウェストン夫妻が南陵から奥穂高岳登頂

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大正3年、今田重太郎15歳、在郷軍人槍ヶ岳に登る
大正4年6月、焼岳噴火、大正池ができる

大正5年、重太郎17歳、地理学者・大関久五郎を案内する内野常次郎に同行し案内の手ほどきを受ける

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大正6年アルプス旅館(現槍沢ロッヂ)開設
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大正8年、常念坊乗越小屋(現常念小屋)開設
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大正10年、重太郎22歳、殺生小屋で穂高岳方面の山案内人として働き始める
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大正10年、燕ノ小屋(現燕山荘)開設
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大正11年、筑摩鉄道、松本~島々間開通
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大正12年、穂高小屋の稜線に避難小屋の必要性を痛感し、実地調査に着手する
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大正13年8月20日、奥穂高岳白出のコルに位置を設定、石室を造り穂高小屋の基盤を造る

大正14年、飛騨側に穂高小屋1棟完成する収容20人)

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