おはようございますペタしてね

3000㍍級21座踏破登山に同行「前穂高岳」は、22日より連載いたします

権現川で川遊びに興じるファミリー

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飯盛山南西尾根、標高111mに築かれた野崎城は中世の山城。北朝軍がここで陣を構え、南朝軍の楠木正行と対峙した

16世紀以降は飯盛山の出城としての機能も有していた

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大東の杜展望台で昼食を頂きました
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樹木に囲まれ涼しい風が吹き込んでとても気持ちが良かった
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野崎観音へ下る途中にある「石造九重層塔」

3m30cmで花崗岩製

1294年、沙弥入蓮と秦氏が主君と両親の追善供養の為に造立したもの

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凡人の幸せ明日をうたがわず・・・村雲
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11:51分、野崎観音に着く(福聚山・慈眼寺)

1300年前、大仏開眼のため来朝した波羅門僧正が、「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いたハラナによく似ている」と行基に申したところ、行基が感動し観音様を彫み安置したことが始まりと伝えられている

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藤原時代(894~1185)の末、淀川右岸に住む江口の君が、長の病いを観音様に治して頂いたお礼にお寺を再興されました
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永仁年間(1293~1298)に、入蓮僧正が秦氏の協力を得、大修復をしたが、永禄の乱(1569)で寺のほとんどが焼けてしまい、本尊の観音様だけが残った
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元和2年(1616)青厳和尚が復興し、元禄・宝永(1688~1710)の頃に「のざきまいり」が盛んになるにつれお寺も栄え今日に至っている
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観音様をかこつけて逢いに北やら南やらお染は思い久松のあとを慕うて野崎村
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お染久松の塚千日参り:7月9日にお参りすると千日お参りしたと同じご利益があると伝えられています
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東高野街道を北へ向かいました

平安時代の貴族たちはこの道を通り高野山へ詣でた

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