大峯山で幕末から明治にかけて活躍、多くの信者に信仰された林実利(はやしじつかが)についてウィキペディアに書かれてありましたので、紹介させて頂きます

このブナの大木、林実利も見たであろうか?

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諡号は大峯山二代行者実利師。美濃國恵那郡坂下村生まれ、金峯山修験本宗。明治17年4月21日、和歌山県那智勝浦町那智滝で41才という若さで没してる

傘をさしたいたがレンズに水滴がついた

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天保14年苗木藩領であった百姓の子として生まれる

成長して御嶽教に入信し、木曽の御嶽山の黒沢口登山道の千本松で行われる御嶽教のお座立てに参加するために登山した際に龍神より託宣を受ける

白い花を咲かせているのは何だろうか?

赤い実をつけているのはミヤマシキミで、厚く先端の尖った葉はアルカロイドを含み有毒です

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慶応3年、25歳の時に妻と子供二人と別れ出家

明治元年、明治政府が神仏分離令を発布、当時修験道は密教と神道が混淆していた為大打撃を受ける

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故郷の坂下村では神仏分離(廃仏毀釈)が実施される。27歳の時、大台ケ原の牛石付近に小屋を作り、拠点として修行にはげんだ

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明治5年、明治政府が修験道禁止令を発布したため、政府の追撃を逃れて活動を続行する
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その後、中部・関東・東北の霊場神祠仏刹を巡拝後、大峯山の笙窟(しょうのいわや)や深仙(じんせん)で修行に入り、千日行を二度行う

霧に煙るブナの森

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荒行を行い、岩穴に籠って坐禅し、護摩行、水行、断食を頻繁に行い、五穀を断ち、木の芽、蕎麦粉、ワラビなどを口にするだけであった

オオカメノキ

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深仙宿、大台ケ原、怒田宿、那智山での厳しい修行は通算16年に及び、庶民のみならず宮家からも信仰されるようになり、有栖川宮より直々に、役小角に次ぐ優れた山伏を意味する、「大峯山二代行者実利師」という名号を賜った
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明治13年、実利行者を崇敬する仏生講が組織された。明治16年冬より那智山で冬籠りを行った

明治17年4月21日、那智滝絶頂から座禅を組んだまま滝壺に捨身入定した

入定して数日後、滝壺より引き上げられたが坐禅姿のままであった

那智滝の近くに墓(宝篋印塔)が作られ、信仰の対象となり各地より多くの信者が参拝に訪れた

ミヤマシキミ赤い実

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故郷の中津川市坂下に、金峯山修験本宗実利教会があり、毎年4月19日に霊神祭を行っている

本来であれば実利の命日である21日に祭礼を行うはずであるが、この日には必ず雨が降ると言い伝えられており、21日を避けて19日に祭礼が営まれるようになったと伝わる

霊神祭は実利教会の最も重要な祭礼であり、参道脇には幟や吹き流しが立ち並び、導師と信者による勤行の後、餅撒き、直来が行われている