バイケイソウの群草地から小高い山に登ったところに松浦武四郎碑があります
ガスが深くなってきました
ミズナラの巨木でしょうか?まだ葉がついていません
1869年には開拓判官となり、蝦夷地に北海道の名を与えた
晩年の68歳になってから。 自費で登山道の整備、小屋の建設などを行いました
ガスが深くなってきました
ミズナラの巨木でしょうか?まだ葉がついていません
松浦武四郎は1818年、三重県松坂市で誕生
山本亡羊に本草学を学び諸国を巡った。蝦夷地を探検し北海道という名前を考案した
石碑には偉業が書き記されている
1838年長崎県平戸で僧となり文桂と名のる
1844年還俗して蝦夷地探検に出発、択捉や樺太まで足を運んでいる
1855年、蝦夷地御用御雇に抜擢され再び蝦夷地を踏破し、「東西蝦夷山川地理取調図」を出版1869年には開拓判官となり、蝦夷地に北海道の名を与えた
アイヌ語の地名をもとに国名、郡名を選定した
皆さん懸命に解読されていました
1870年に開拓使を批判して職を辞してからは余生を著述に過ごしたが死の前年まで全国歴遊は諦めなかった
歴史に関心の高いことも山耀会の特徴かもです
1870年には北海道人と号して「千島一覧」という錦絵を描いた
中でも、報道記者だったT氏はなかなかの博識家で通っている
大台ケ原に登り始めたのは、富岡鉄斎からの影響で晩年の68歳になってから。 自費で登山道の整備、小屋の建設などを行いました
1888年、東京五反田の自宅で70歳で死去。遺骨は武四郎がもっとも好きだったという西大台・ナゴヤ谷に1889年に建てられた松浦武四郎碑に分骨されている












