15歳で松下村塾に入塾 (4つ上に高杉晋作)
晋作と行動を共にし、機略縦横あらゆる事態に的確に対処していく姿に、とても真似ができないと思い始めた
松陰の言葉「黒船を打ち負かすような軍艦を造らなければ日本は守れない」が胸に刻まれていた
「そうだ、自分が手先が器用だ。船造りになって日本を守ろう」
真の決意は行動を生む
24歳で脱藩しイギリスへ密航、グラスゴー造船所で働く。船造りの輪郭が分かってくると数学や物理の知識が不可欠であることが分かり、夜間学校へ3年間通う。それでも不十分でアメリカへわたり造船所で働きながら3年間夜間学校で学び卒業する
帰国したのは31歳。長崎造船所の初代所長になり日本造船業の礎となった
(3月4日付け読売新聞広告より)