奈良文化財研究所・飛鳥藤原宮跡資料室

玄関を入ると藤原宮の鳥瞰図が飛び込んできます

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15分ほど説明して頂きました
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藤原宮の柱などは滋賀県と宇治市に跨る湖南アルプス近くの田上山で伐採され、宇治川・木津川・飛鳥川を筏で運んだようです
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よく藤原京は藤原氏が建てたものと思っている方が多いようですが関係ないようです
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藤原氏はもともと大和朝廷の神事を司り、中臣氏と称したが、大化の改新に功のあった鎌足が天智天皇から藤原朝臣の姓を賜り、ついで698年文武天皇は鎌足の2男・不比等等に藤原姓を認めた
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不比等は大宝律令の撰集、平城京の経営に参画、その子光明子を臣下としてはじめて皇后に立て、外戚として権力を振るうなど、律令官僚貴族としての基礎を築きました
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藤原鎌足:(614~669)推古22~天智8、55歳で没している

古代の中央豪族で、軽皇子、中大兄皇子らとともに大化の改新の計画に参画。蘇我氏を倒して孝徳天皇(軽皇子)が即位したのちは、内臣として、皇太子・中大兄皇子とともに改新新政の重鎮となり律令体制の基礎を築きました

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臨終の床で、天智天皇(中大兄皇子)より大織冠の官位と藤原朝臣の姓を賜り、藤原氏の祖となりました

(角川日本史辞典参照)