辻子谷はじめ、生駒山麓の谷では谷川の水を利用するためたくさんの水車が設けられていた
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江戸時代、商業の発展と共に、工業用へと用途が変化し、胡粉製造が始まりたくさんの水車が作られました

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辻子谷は全国一の水車郷にもなりました

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明治・大正時代の最盛期で百七十七基もあった
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辻子谷だけでも四十四の水車があったという
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電力の普及と共にその数は減少してゆき、最後の水車も稼働を停止しましたが、辻子谷の文化や歴史を伝承するため
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地域住民の有志のボランティア「昭楠会」が結成されました
山彦耀のブログ 昭楠会により直径6mの実物大の水車が復元された
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また蛍の養殖にも取り組んでおり、蛍の復活にも尽力している
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興法寺は役行者の草創で本殿の十一面観音は行基作と伝えられ、時雨桜やスズランが有名です

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