棟札によると元亀2年(1571)信長の比叡山焼き討ちによる本堂焼失後、天正2年(1574)に再興棟上げが行われたことが分かります
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その後、享保3年(1717)に第20世の真際上人が再興に乗り出し、門末檀徒から浄財を集め、元文4年(1739)に落成したのが現在の本堂です

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正面の欄間や須弥壇はすべて欅の素木造りで豪華な彫刻を施し、それぞれ江戸時代の特色をよく表しています


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兼法勝西教寺の由来:洛東六勝寺随一・法勝寺は白河天皇の勅願寺であった

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承暦元年(1077)創建、七堂伽藍の名刹であった

その後、度々の災禍により嘉暦元年(1326)、後醍醐天皇は、五代国師恵鎮円観に法勝寺修造大勧進を命じた

イワカガミのような花弁、寺の人に尋ねましたが花名は分からないとのことでした
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これより以後、法勝寺は法勝寺流の本寺となりました

西教寺鐘楼:本堂の東側に向けて建てられています

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その後、さらに応仁の乱等により破壊的な被害に遭い遂に天正18年(1590)後陽成天皇は、西教寺9世真智上人に法勝寺を西教寺に兼併せよとの綸旨を下賜され、薬師如来像(重文)を相承
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以後、今日まで西教寺で法勝寺流重受戒灌頂が修行されているのである
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紅葉越し琵琶湖の眺め
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