10月21日明神谷を下山
雨で抉り取られた林道
振り返れば紅葉が夕日に照らし出されていた
15:17分、ちゃんとした舗装林道に出た
足もかなり草臥れた15:30分、S氏がゴール
K氏は台高山脈・三重県寄りの麓の出身だ
毎回、愛車のバイクで登山道まで来られます
駐車場の車は10台ほど残っていましたストレッチをして強張った筋肉を伸ばしました
15:31分、駐車場を後にしました
15:58分、笹野神社の様子
吉野杉の明暗
和佐羅滝入口・国見山登山口
水量豊かな落差50mの名瀑
約1km・30分要すとあったので、入口を覗いたに留めた
やはた温泉で汗を流し21時頃に帰宅すると、愛猫が留守を守ってくれていました
第50回山耀会「大山登山」は明日より連載いたします
天誅組は十津川を脱出し長州へ向かおうとしましたが、各藩の追討軍を相手に奮戦しましたが9月24日東吉野村に踏み入りました
追討軍に次々と討ち取られ、中山忠光卿以下7名の一行のほか数名が逃れたが、天誅組はここ東吉野村において事実上の終焉を迎えました
一見すれば、徒労に終わっただけの暴挙と見られがちですが、天誅組の精神は5年後に明治維新となって実を結び、立派に受け継がれたのです
無念の最期を遂げられた方々は地元の墓地で埋葬され宝泉寺と竜泉寺で供養され、村の人々の温かい手により守られています
追討軍の犠牲者
伊藤弥左衛門(彦根藩士)
大館孫左衛門(彦根藩士)
的場喜一郎(紀州藩士)
古文書記録
「ここにて天誅組のうち、主たる人、吉村寅太郎様戦死。土民(村人)浪士の石碑をきざみその土地に葬りけり。しかるにその後、近村、近国より参詣人夥数、追々益々群集いたし、天誅組吉村大紳儀として、様々の立願相込め御利益之在り候より、誠に追々参詣人群集いたし候ゆえ、その御支配御役所より差止め候ところ、なかなか百姓ども、聞き入れ申さず、益々参詣人弥増、不思議なる次第、可恐々。」













