人は死んだらどうなるの

人は死んだらゴミになると言って人がいます

いかにも唯物的な考え方ですね

事実はゴミではなく、灰になるのでしょう

人間の最後がゴミならば、人間の存在はゴミへの途中でしょうか

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なぜ私たちは「人は死んだらどうなるのか」と問うのでしょうか

それは私たちが何処からきて何処へ行くのかが分からない、その存在の不安からおきているのでしょう

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それは来た先と行先を問いながら実は、現在の自分を問うているのです

現在ただいまの自分が分からない、その迷いが「人は死んだらどうなるのか」と死後を問わせるのです山彦耀のブログ

インドに古くからある輪廻の考え方は、そういう問いに、霊魂不滅の立場から、生まれ変わり、死に変わりする人間の在り方を示すものです
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それは死後のよき再生を願って、今の不幸を耐えて来世のために頑張りなさいと教えます
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人が死んだら霊となり、その霊となった死者に対して、生者が慰霊・鎮魂・祭祀をしないと、死者に祟られ、災いをもたらされると考えられています
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それはこの世の吉凶禍福がすべて霊の支配下にあるとする考え方です

インドの輪廻の思想も、日本の霊の宗教も、いずれの場合も、この現在の矛盾と不正と過ちを作り上げてきた私たち自身の愚かさに目を向けることを妨げています

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それに対して浄土真宗の教えは、我は「煩悩具足の凡夫」、我が世は「火宅無常の世界」であると、どこまでも過去を背負い、未来をはらむ自分のこの「現在」をごまかさず問うものであります
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そのような自分の「現在」を問わないで、「人は死んだらどうなるのか」と考えることは、
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私たちを出口のない路に迷わせ、神秘的な世界に惑わすこととなるだけでしょう
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同朋大学学長・尾畑文正