「今日に足る日」
ただ今日の分だけ明日があればいい
誰しも甲斐ある今日を生きたいのだ
今日に足る日があれば、今日も明日も踏まえぬまま
未来へと急かされても、ただ甲斐ある日々を過ごしたく・・・零
法隆寺金堂と南大門
ほかに木造吉祥天立像、毘沙門天立像(平安時代)が安置されています
また天井には、天人と鳳凰が飛び交う西域色豊かな天蓋が吊るされ、周囲の壁画には、世界的に有名な壁画(昭和24年消失、現在はパネルに描かれた再現壁画がはめ込まれている)が描かれ、創建当初の美しさが偲ばれます
大講堂の柱、1400年以上経つと柱にも亀裂が入るようです
平安時代に造られた柱には背割工法は使われていません
平安時代に入ると、檜の大木は寺院建立の為伐採されてしまったと言われています
大講堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、鐘楼と共に延長3年(925)に落雷により焼失した
幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もそのときに造られています
法輪の下の方に鶴の嘴のように見えるものが左右に二つ見えます⇒さて、これは何でしょう九輪の二番目にカマ四本を祀ってあるのです
地震や雷から塔を守っているのです
現在は避雷針が取り付けられていますが、避雷針の無い1300年間雷被害もなく、1400年もの長い間よく存在したものだ、と感嘆した
深く覆いかぶさった軒、その下の組物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです
538年に仏教が伝来、69年後の607年に法隆寺が建立された
東寺の日本にはこれだけの建築技術は無く、大陸人が造ったといわれる
日本人による建築は711年、奈良に都を移してからと言われている
魔除けか龍が施されている
学僧の宿舎威風堂々とした金堂の建物の中には、聖徳太子の為に造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、太子の父・用明天皇の為に造られた金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、母君穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の為に造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、それを守護するように、樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に静かに立っています
この時代には大木を伐り過ぎて、背割りが出来るような木がすでに無くなっていたとも言われる









