「答えはつくる物」

在るのでも無いのでもなく、探すものでも求めるものでも無く、得られぬ思い詰めるのでも無く

無ければ自らつくる、つくらなければ答えは得られない。無いものを失うことは無い・・・零

縁起文によると、用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像をつくることを誓願されましたが、実現を見ないまま崩御されたと言います

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そこで推古天皇と聖徳太子がご遺願を継いで、推古15年(607)に寺と本尊「薬師如来」を造られたのが法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれている)であると伝えています
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現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられている
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広さ18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒を連ね、たくさんの宝物類が伝来しています

柱の下部は修理の跡

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国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでいます
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このように法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、特に1993年12月には、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録されるなど、世界的な仏教文化の宝庫として注目を集めています
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飛鳥時代に造られた五重塔はストゥーバとも言われ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされています
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高さ32.5m(基壇上より)でわが国最古の五重塔として知られています

栗本氏が説明に使われていたガイドブック

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最下層の内陣には、奈良時代の始めに造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩が問答、北面は釈尊が入滅(紀元前五〇〇年)、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法などの場面が表現されています

江戸時代・元禄の大修理には桂昌院が莫大な資金(現在の鐘で1400億円)援助をされたと言う

本庄氏は篤姫の養女先

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五重塔の中心には1本の心柱が立てられている

5つの横柱で支えられている

東大寺の五重塔は100mの七重塔だったと言われ、心柱は二本で繋いであったと言われている

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金堂の高さは17mで、五重塔の高さは金堂の二倍とされている(約34m)

現存する五重塔の中で法隆寺は3番目の高さ

1番は東寺、2番は興福寺

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金堂(飛鳥時代):法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂が金堂です
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