延暦13年(794)、比叡山一乗止観院(のちの根本中堂)が竣工。落慶法要には、時の桓武天皇が行幸されされた
桓武天皇は平安京の鬼門に当たる比叡山寺を国家を鎮め護る道場とした
最澄は新仏教の理念を中国天台大師の経観に見いだされ、この法華経の宣布に力を注がれた
和気氏の氏寺である高尾山寺で盛大なる講演会において、天台大師の三部作「玄義」「法華文句」「摩訶止観」の各書を講ずるや、大師の名声はたちまちに朝野ひびいた
入唐求法:延暦23年7月6日、38歳の大師は天台の教えをさらに深く知るため遣唐使の一行とともに肥前国田浦を船出したが、暴風に遭い船が沈みそうになったとき、大師は仏舎利を海に捧げて平穏を祈り、神仏の加護を得てようやく9月1日に中国明州(寧波)に着くことが出来た白雪の消えぬにつけて大比叡の山の高さを空に知るかな・・・熊谷直好
伝教大師は「一隅を照らすものは、国の宝である」と諭されました
自分の幸せを求めるのではなく、社会の人々の幸せのために、自分の生きていく姿に最善を尽くすことが、お大師様の御心を現代に生かすことです
弘仁13年(822)、「わが志を述べよ」、「童子を打つことなかれ」などの言葉を遺され56年の偉大な生涯を終えられました
ときに6月4日辰の刻(午前8時頃)のことであった
おりから比叡の山は紫の雲に覆われたと伝える
第43回山耀会「比叡山」は下山後、切畑古墳で花見をする予定でしたが、開花どころか蕾との情報を得て、ルート変更を余儀なくされました
山上から2班に分かれ、京都へバスで下山された方々は東寺のライトアップされた夜桜を満喫されました
たくさんの方のご参加有難うございました
4月28日、山耀会の会合で開催記録をチェックしておりましたら、六甲山トエンティクロスが抜けており、比叡山は44回と判明しました
次回の比良山「武奈ヶ岳」登山は第45回開催と改めさせて頂きます




