1月3日、88歳の父と下時国家を訪ねた
仏間にある仏壇と神棚
生存者のほとんどは、鎌倉幕府の厳しい追及の中、各地に離散した
生存者最高重臣、平大納言時忠は源義経との約束により能登へ配流され、文治5年2月24日この地で没しました
昭和60年、源平800年を期に全日本平家会が設立され、官幣大社赤間神宮より当家に五分霊が親授され、邸内社を建立し「能登安徳天皇社」の称号が授与されました。現在24代当主が総裁として安泰に奉持している
(元気な88歳の父・24日には誕生日を迎えます)
「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」とは云いますが、今も歴史と浪漫が息づいている時国家代々の墓
庭園は2000坪。自然の地形を巧みに利用し、椎の古木が鬱蒼と茂る回遊式庭園で建物との調和も見事にとられている
池泉を挟んで手前が此岸、向こうが彼岸を現している安徳天皇社
平家は壇ノ浦の合戦に敗れ、平家団結の象徴であった安徳天皇(8歳)は二位の尼(平時子)に抱かれ御入水されました









