平時忠は珠洲市大谷で晩年を過ごした
(漆黒の茶の間、全体が黒光りしています)
その子時国は平野部に居を移し、農耕を営み、貧弱する農民を救済し、現在の地に時国村を成しました
その後の天正9年(1581)、能登は前田藩領となり慶長11年(1606)には時国村の一部が越中土方領に替地され時国家は二重支配を逃れる為、寛永11年(1634)13代目当主・藤左衛門時保は二家に分立し、本人は加賀藩領に居を定めた
当家は多くの小作人を抱えて大規模な農業や塩業、回船業などを営んでいました
(ストロボを焚き、芸術的な木組みの屋根裏を撮りました)
(揚羽蝶紋陣羽織)
揚羽蝶紋は下時国家の家紋。この陣羽織は丸の内揚羽蝶紋を使用している
(陣笠)(家譜)
中世時国村・曽々木・大川村の地図
下時国家には安徳天皇を祀った社があり、庭からの参拝もできる
上時国家は、高さ18mの茅葺の大屋根を持つ、国内最大級の木造屋敷。約180年前に28年もの年月をかけて造られ、重要文化財に指定されている
資料調査中のものがあり、判明次第追記いたします








