1月3日、米寿を迎えた父と能登山地中央部にある大谷峠・則貞を訪ねました

写真の石塔群は平時忠一族の墓と伝承され、最も高い五輪塔が時忠の墓とされている

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時忠は、代々朝廷に仕えた公家で、知略家と知られていた。姉時子は平清盛の妻、妹滋子は後白河天皇の女御となり憲仁親王(後の高倉天皇)を生んだことから権勢をふるい、正2位大納言にまで昇った

また源義経は、娘婿でもあった

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寿永4年(1185)壇ノ浦合戦で捕縛され能登国配流となる。「吾妻鏡に寄れば、文治5年(1189)2月24日配所にて没し(60歳)、源頼朝もその死を惜しんだという
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これに対し、時忠の末裔としてこの墓所を護持してきた則貞家の伝承では、源氏方の監視を逃れ、当地の居を定めて子をなし、元久元年(1204)4月24日没したとしている
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則貞家住居跡と当墓所の発掘調査の結果、住居跡は鎌倉時代初頭にさかのぼるが、墓所は室町時代後半に整備されたものとみられている
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平時忠と則貞家の関係はよくわかりませんが、時忠が能登に配流された際に京都から連れてきた子供なのか、当地の女御との間に出来た子なのか分かりません

現在29代の方が大谷に住んでおられます

写真は29代となる息子さん(現在は金沢在住)
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現在の則貞家の墓所山彦耀のブログ 現在の則貞家

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能登でも雪の多いところです
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国道も広く整備され便利が良くなっている
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