大文字山~本法寺を案内して下さいましたT・大晴君親子。祖父を中心にファミリーで山に登っていらっしゃるとのことで、毎週、大文字山に登っておられます
サンタさん大晴君にクリスマスプレゼント
をよろしくお願いします
当山開創の日親上人は、時の将軍足利義教に「立正治国論」を献じ、平和の招来を直言しましたが、これが将軍の忌諱に触れ獄舎に投ぜられた上、寺も焼却された
さらに、将軍義教が上人に加えた刑罰は次第に過酷となり、ある時は焼鍋を頭に被せる等の残虐、目を覆う迫害もありました
世に「冠鐙日親上人」と称するのは、この法難を言います
しかし、上人の大慈大悲の法華弘通の大不動心は、遂に後花園天皇に叡感に適い、康正元年(1455)四条高倉辺に官地を賜り本堂の再建が実現した
その後、長禄4年(1460)、三条万里小路に移建することになった。また、天文年間に一条戻橋辺に移りましたが、天正15年(1587)に当時の都市区画整理により現在の地に移った
時の第10世日通上人は、寺領千石の寄進を受け、光悦の父・光二は私財を投じて再建、堂塔伽藍は厳然として京洛の空に聳え、日蓮宗門の一大偉観を呈した
かくして時移り、天明8年(1788)の大火は洛中を忽ち灰燼となし、豪華を誇った本法寺の伽藍も炎上した
僅かに経蔵と宝庫とを残すのみとなりましたが、その後、檀信徒の堂塔再建の悲願は着々結実され、今日の本法寺の存在を見るに至った
近所に天皇家御用達の菓子屋・「田丸弥」がある
長谷川等伯筆の「佛涅槃図=重要文化財指定」は京都三大涅槃図の一つで、建て10m、横6mに及ぶ紙本濃彩画









