今年のブログ納めはやはり剱岳です
小生にはまだ未踏の山ですが、山友達のY氏が登頂され、その時の写真を送って下さいました。確か7月に登られたと仰っていました
明治40年7月13日、測量隊の測夫・生田信らが長次郎雪渓ルートから登頂に成功した
15日後、柴崎芳太郎が登頂した。この登頂日は長らく不明とされてきたが、平成19年に四等覘標高程手簿が発見され登頂日が明らかになった
もっとも、宇治は信仰上の理由から、山頂を踏まなかったとする説が有力である
頂上は意外に広々とした岩石の丘だった。大小無数の岩石が重なり合いながら、絶頂に向かってゆるい傾斜を作っていた。どの方向も素晴らしい景観にあふれ、区々としては目を牽くものはなく、弾き返すような勢いで全体として迫っていた。なにか、壮大な景観に圧倒されて眩暈がしそうに思われた
誰も何も云わなかった。4人は言葉を忘れたかのように風に吹かれていた
(富山平野と富山湾を見渡す)
12時になるところだ。赤と白に染め分けられた四角な測量旗が生田の手によって岩の上に立てられると、他の三人はその棹の根元に置くべき、手ごろな石を探している時、大きな石の窪みのようなところに赤錆びた長さ8寸ほどの剣の穂先を発見した。続いて彼は、そこから2尺ほど離れたやはり大きな石の窪みに、手のひら一杯ほどの大きさの錫杖の頭が置いてあるのを発見したこれは千年以上前のものかもしれない、と長次郎が云った。「すると、弘法大師でも登れなかったというこの山に誰かが登って、これを置いて行ったことになる。剣の先と錫杖の頭が揃えて置いてあるということになると、ここに来たのは修験道の行者に違いない」
剱岳は立山の他の山と同じように、やはり、奈良朝時代に開山されていたのだ。信仰の力とは恐ろしいものだ。よくぞここまで登ってきたものだ・・・剱岳点の記より
(池ノ谷乗越・三ノ窓・小窓ノ王・池ノ平山と続くアルピニスト憧れの北方稜線)
写真を送って下さったY氏が年末に訪ねて来られた時、「剱岳は今までに登ったどこの山よりもはるかに厳しく険しい山でした」と述懐しておられました
東日本大震災という未曽有の災禍が日本を襲いました。罹災された皆様には悲しみと辛苦の日々が続いています。同胞として見守り助けてあげなけれななりません。それには国民一人一人が自覚し、勤勉に働くことしかないと思います。健康でいて働かないものは食うべからずの世論をしっかり形成してゆくことこそ大事だと思います
一年間ご愛読いただきまして誠に有難うございました<m(__)m>
よい年をお迎えください!!


