707年天武朝の頃の日本最古の行場と云われる

滝が流れており水場となっていたところ(薬師の霊水)
山彦耀のブログ この付近は「大和名所図絵」に般若岩屋と呼ばれたと書かれている

生駒山の一角であるが鬼取山と呼ばれている
山彦耀のブログ 鳥居が残されている

役行者が万民救済を祈願した場所として知られている
山彦耀のブログ 役行者の鬼首伝承が伝えられ修験道の行場とされてきた
山彦耀のブログ 安政6年(1859)銘の石造り薬師如来像などがある
山彦耀のブログ 江戸時代に東へ700m下ったところに移転した
山彦耀のブログ 役行者の法力により打ち取られた前鬼後鬼の物語から

後の人が呼ぶようになりました
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その後、和銅3年(712)行基が当山に来られ、薬師如来のご託宣を受けられ、薬師如来を御本尊とした鶴林寺の前身である生馬院有里(下流)に建立されたのが始まりであります
山彦耀のブログ 平安時代の初期に寺田用水を守る必要から下流にあった生馬院を上流に移し水源獲得の役目もかねて寺号も鬼取山鶴林寺と改称しました
山彦耀のブログ 鶴林寺という寺号の発祥は、印度の跋堤河の西岸にある沙羅林に似ていて、お釈迦様涅槃の地と同形なりと云われた行基菩薩の感旦詞から引用されて名づけられたものである
山彦耀のブログ この沙羅の林はお釈迦様が入滅された時に林の緑が皆白色となり白鶴のようになったと云われております
山彦耀のブログ 鶴林寺になってから隆盛をきわめましたが、戦国時代の末期に松永久秀の兵火にあい本堂を焼失しましたが、本尊の薬師如来像と行者像は一旦麓の村寺へ移していたので無事であったと云われています
山彦耀のブログ その後明治に入って信者と村の人達によって行者堂の再建がなり再び行者像をもとの所に移した
山彦耀のブログ そして日本最古の霊場として現在に至っている
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