10月9日・12:48分、別山乗越着

正面は天狗岳2521mでしょうか。2日前吹雪で何も見えなかったのに眼下には室堂平が広がりました

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剱御前小屋。後ろは別山2880m

行者を芦峅寺へ背負い降ろして立ち去ろうとする柴崎に行者が、「剱岳は登れない山、登るべき山ではないと云っているのは、立山信仰を信ずる人たちであって、私のように修験道を歩む者には、登れない山もないし、登ってはならない山もありません」

御前小屋に泊まりご来光を見るのもいいでしょうね

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雷鳥沢への下山道。天狗山&国見岳2620m

「私は未だに剱岳を登ったことはありませんから、どうしたらあの山に登ることができるかを教えて上げることは出来ませんが」

手前、浄土山・室堂山越に鷲岳2617m&鳶山2616m


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ハイマツと群と室堂平

「私の師が死ぬ折、もし剱岳へ登るならば雪を背負って登り、雪を背負って帰れと云い残して死んだ、その一言を今日のお礼としてあなたに差し上げます」

ハイマツと群と室堂平



天気が良すぎたのか雷鳥の姿はありませんでした


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剱御前~一服剱~前剱~剱岳へと向かう尾根道

雪を背負って登り、雪を背負って帰れ。どうぞあなたのお力で剱岳へ登って下さい」

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2日前に降った雪が薄ら残っていた

行者はそれだけ云ううと、崩れるようにそこに倒れた。行者の兜巾が柴崎の前に落ちた

鷲岳と鳶山が高さを競っています。右は越中中岳2591mか

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生涯、修験道を歩いて来た、その行者の汗の滲んだ兜巾を見つめながら柴崎はしばらくそこに立ち尽くしていた

人間の幸せとは何だろうか?道を説くことか、温かい家庭か?小さな幸せか?それは人それぞれであろう!

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剱御前小屋前、石垣の傍で風を避けながら昼食の準備

スープとコーヒーが振る舞われた

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柴崎芳太郎は10日間の下見出張を終え、来年もよろしくと云って長次郎と別れた
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帰京の列車の中で出会った修験道の老人が、「剱岳が科学の名のもとに再び開山されることは誠に結構なことだと喜んでおります

奈良町時代に宗教的に開山されているはずです。宗教的開山という意味は修験者があの山の頂上に登ったということです。誰が登ったかという記録はありません。もともとわれわれ修験道は、真言密教から出たものです。密教は一般に布教される宗教ではなく、師の口から弟子の耳へ、伝えられていく教えです。一般の人からは秘密主義、神秘主義に見られたいますが、その伝統が今日まで修験道を支えてきたのです。つまり記録はないが記録以上に強靭な伝えがあるということです」

では何時、誰が、どうやって・・・

「それは云えぬことだ。そういうことは生涯修行を重ねた最後に、最も信頼すべき弟子に云うべきことだ」

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「老人は、我らの大先輩に快天という行者がいた。快天は剱岳に登頂した。そして開山したことを確かめて下山したところ捕えられて岩屋に入れられて殺された。加賀藩士の武士で増﨑藤左衛門も登頂した帰路食あたりで死んだことになっているが毒殺されたのである」

剱岳「点の記」参照

約束はしなくていいわ未来とかあいまいなものは必要ないから・・・沙羅