10月9日・11:17分、剱沢から剱小屋へ向けて急坂を登り始めた。太陽が燦々と降り注いでいた
山彦耀のブログ
明治39年、柴崎芳太郎が測量部に入って3年目の9月30日列車で富山に入った
山彦耀のブログ
古田盛作から紹介されていた和田の宇治長次郎が出迎えた。和田から富山駅まで6里(24km)の距離を歩いてきたのである。しかも、日にちが分からず3日連続で出迎えに出ていた。昔の人は本当に凄いと思う
山彦耀のブログ
宇治長次郎は明治4年生まれで柴崎より5つ年上の34歳。体格がよく強力として優れていた。柴崎芳太郎は29歳
山彦耀のブログ
長次郎は寡黙で話しかけられない限り黙々と歩いた。普段は常願寺川の砂防工事の人夫として働いていたようだ
山彦耀のブログ
その日は長次郎の家に泊まった。そこで人夫として同行する予定の宮本金作と岩木鶴次郎を紹介される
山彦耀のブログ
立山曼荼羅に出てくる山はすべて実在の山であり、一番右方が浄土山で一番左方の山が剱岳
山彦耀のブログ

右最上段に赤い太陽が輝き、その下に高峰が連なっている。各峰の頂には五彩瑞雲がたなびき、25菩薩が来迎している

山彦耀のブログ

右端の一段と高い峰の頂上には社があり、その上を天人が舞っている。さらに左へ第二峰、第三峰、第四峰、第五峰と頂きには社があり、上空には天人が舞っている
山彦耀のブログ

ところが、この曼荼羅の最左端上空には太陽はなく月が出ており、瑞雲ではなく不吉な感じの雲がたなびき、その下には、氷の剣を立てたような針状群峰が青白く輝いていた。佐伯永丸は「命が惜しいと思ったら、剱岳には近づかない方がいいだろうな」、と云った

(剱岳点の記より)

山彦耀のブログ

ほんのりと染まりし吾の乳房から聞こえてくるは生なる鼓動・・・沙羅