その折の点の記を読みますと、旅舎は芦峅寺村の佐伯永丸方となっており、人夫は芦峅寺にて日給35銭で雇ったと記録されております
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やはり私が来年測量に出かける時も、この旅舎が根宿となり、案内人や人夫もここで探したらよろしいでしょうか
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点の記とは陸地測量部が使う専門語で、三角点設定に関する記録の概要を記したもので、これを読めば、その当時の測量官の動向が一目で分かるように、諸項目にわたって詳しい記録が残されていた
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柴崎は立山一等三角点の点の記は何度も読んで丸暗記していた
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旅舎は旅館であり、根宿とは東京から来た測量隊の根拠地に使われる宿のことであった
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「出発点からくわしく訊きたいのだね」

半分ほど下ると八ツ峰の全容がはっきりみえた

氷河に削り取られた氷食尖峰でその峻険な山容は訪れる者を圧倒し、登山家からは「岩の殿堂」とも、「岩と雪の殿堂とも呼ばれている

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「雄山の頂上までは信仰の為の登山路があったから、人夫を雇ったが特に案内人を必要とするようなことはなかった

剱岳の南東には日本三大雪渓の一つ、剱沢がある北から東の方角には、大窓・小窓・三ノ窓など「窓」と呼ばれる懸垂氷食谷がある

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しかし明治35年になって二等三角点を設定に行った時には、芦峅寺の佐伯永丸宅を旅舎として、ここで案内人や人夫を雇った

飛騨系の閃緑岩と斑糲岩の堅い岩から構成され、それを輝緑岩が貫いている

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また同じ年越中中岳(栂山)と鍬崎山の頂に二等三角点を設定するときには芦峅寺村の近くの大山村和田というところに旅舎を移した

山の上部には森林限界のハイマツ帯で、ライチョウの生息地であり、アオノツガザクラやハクサンイチゲなどの高山植物が自生している

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人夫頭は宇治長次郎、そして案内人は大山村原というところに住んでいた猟師の奥村清松だった

山名は、古くは「劍嶽」と表記されていたが、一般には常用漢字表の事態を用いて剣岳と表記されることが多いが、地元上市町は剱岳が正しい表記であるとしている

国土地理院は上市町からの申請を受け、立山町の同意を得た上で2004年発行の地形図から「剱岳」と表記している

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剣岳点の記、ウィキペディア参照