柴崎芳太郎は陸地測量部を退官した先輩・古田盛作を訪ね、話を聞いた

来年剱岳一帯の三等三角網完成の仕事を私がやることになりました

山彦耀のブログ
そのための下見ですが、特に剱岳は未だに人が登ったこともない山だと聞いていますので、あの辺りにまず最初に手を付けられた大先輩の御意見をうかがいに来たのです
山彦耀のブログ
柴崎は手携げかばんから古田盛作が明治35年に測量して作成した立山付近の二等三角網図の写しを取り出してそこに置いた
山彦耀のブログ
「私が行ったのはだいぶ前のことだから参考になるかどうか分からないが、知っていることは何でもお話ししましょう。どうぞ遠慮なく聞いて下さい」
山彦耀のブログ
白ハゲ(大窓)、大日岳、越中沢岳(栂山)、鍬崎山の二等三角点の他に、それらのほぼ中央に雄山の一等三角点が記入されていた

山彦耀のブログ
「まず、真っ直ぐにここへ行ってみることだな、ここに立ってみれば大体の地勢が分かる」
山彦耀のブログ
古田は雄山を指し、そして懐かしげに、「ここに一等三角点の覘標を建てたのは確か10年前の明治29年7月の末だった」
山彦耀のブログ
「この時は覘標の構造と三角点の埋定はこの私がやった。埋石と同時に陸地測量士の古田和三郎さんによって観測がなされた。9月の末の寒い日のことだった」
山彦耀のブログ
三角点を決めるには、まず地点選定が行われ、その地点が遠くからよく見えるように、覘標の櫓が組み立てられ、その覘標台の直下に標石が埋定された
山彦耀のブログ

これらの準備機関ができてから一番最後に観測が行われるのである

山をバックに、アルピニストのM・Aさん

山彦耀のブログ