4月12日、瀬田川河畔を歩いた
桜守・佐野藤右衛門氏の言葉
戦中から戦後にかけて神社もお寺も食うのにおわれ、桜どころではなかったですやろ
金沢市の兼六園の「菊桜」は、加賀藩が京都御所から賜ったと伝えられている
菊桜は花弁が多い。普通は200枚以下やけど、兼六園では250~400枚が菊のように重なり合って咲きますのや。60年代、樹齢300年を超す樹齢300年の菊桜が枯死の危機に見舞われましたんや。おやじと一緒に、接ぎ木をするための穂木をもらいに行きました。わしはその帰り、車を運転しながら、10本ほどの穂木をずっと口にくわえ続けてましたんや。枝が乾かんようにするためですわそのうちの一本だけ、うちの畑で接ぎ木に成功しました。兼六園の菊桜が枯死した後、うちの木を移植しました。思い出深い桜やさけ、毎年のように守りに行っとりますで
おやじが接ぎ木した木更津市の『鎌足桜』もすっかり持ち直しました。藤原鎌足にゆかりがあり非常に珍しい。山桜の突然変異ですわ
秋田の角館にもちょこちょこ行きました。町づくりに熱心な町長さんから「桜が衰えてきた。どうしたらいいか」と相談されましてな。
角館は藩政時代の面影が残る城下町で、東北の小京都と呼ばれる
この地を治めた佐竹氏の家臣の武家屋敷が現存し、76年、国の重要伝統地区建造物群文化財に選定された。黒板塀が連なる武家屋敷通りにある160本の枝垂桜は天然記念物に指定されている角館の桜はなんとか持ちこたえていますけど、かっては通りの両側の桜が覆いかぶさるように咲き誇り、そりゃあ壮観でした
桜が弱ってきたのも、観光客を呼ぶことが最優先されるからやないですか
狭い通りに人が大勢詰めかけすぎですわ。人は綺麗でも、桜にはよくないんやけど








