4月10日「七曲り坂」を下る
わしは30代から40代にかけて、植木と庭の仕事に打ち込み桜には目もくれませんでした
おやじには作家がよく会いに来ましたな。川端康成さんもふらっと来るんですわ。時々、周囲の人間関係から逃げたくなったのと違いますか。水上勉さんも「櫻守」を書くんで、おやじにいろいろ聞いとりましたなおやじは81年、80歳で死にました。その時不思議なことがありましたわ。わしが生まれたとき、おやじは円山公園の名物やった枝垂桜の種をうちの畑にまき、4本が成長した。戦後、円山公園の枝垂桜が枯死したんで、3本を京都市に寄贈し、うちには1本だけがのころましたんや
冬の朝、おやじが脳梗塞で倒れ、寝込むようになると、うちの枝垂桜も咲き具合が悪い。おやじの調子がええ年は、普通に咲くんですわ入院すると桜もじわじわ弱ってきたが、春には満開になりよった
おやじが5月に亡くなった後、桜の葉が勢いよく出てきたから、「元気を取り戻したんやな」と思ったら、1か月後に突然枯れましたわ
その木で観音様を彫ってもらい、お寺に納めました
6尺もあります。驚いたのは、幹が全く痛んでいなかったことですわ。なんで枯れたんか
奇妙なことはもう一つありますな
おやじに「素晴らしい山桜が墓地にある」と誘われ、車で見に行ったんですわ。おやじの死後に思い出していくと、枯れていました。「枯れる状態やないのに」と思い地元の人に聞いても話したがらない。材木を山から下すために、どうやら桜にワイヤをまいたようですな
忘れもしない。3月31日ですわ。根を調べようと彫り始めたら、俄かに辺りが暗くなり、雹が降ってきましたのや
翌朝、顔の半分がお岩さんのように腫れとりました
早速、洗い米と塩をもって、桜の木にあやまりに行きましたわ
読売新聞「時代の証言者」第16代桜守・佐野藤右衛門氏の連載から抜粋









