10日、吉野桜ウォーク
鯉のぼりが皆をまとめてくれました
今頃どうしているかなあ~(小さい子供さんがいる参加者に差し上げました)
桜守・16代佐野藤右衛門氏の誕生記念に父の15代目桜守が円山公園の枝垂桜の種を採って、桜畑に植えた。100くらい発芽したらしいが、戦後まで無事に育ったのは4本そのうち残ったのは、初代と同じ場所に移植した1本だけ。それもなかなか花が開かず、何とか見られるようになるまで10年はかかりました
おやじはしょっちゅう様子を見に行き、気にかけとりましたわ。今は見事に咲きますが、そんな苦労を知る人は少なくなりましたな
50年6月、朝鮮戦争がはじまり、日本政府は米軍に協力する方針を掲げた
この戦争は朝鮮特需をもたらした。繊維と鉄鋼関係の好況を象徴する「糸へん・金へん景気」が流行語となった
この景気で庭づくりの仕事が急に増えましたのや。特に大阪では「にわか成金」がようけでて、宗右衛門あたりに料亭が次々にできましたなわしは叔父に仕事を教わりながら、家業に本腰を入れだしましたわ
読売新聞「時代の証言者」より抜粋





