10日中千本、咲き始めた木もあるが大部分は蕾が膨らんだ状態

東日本大震災で入り江に面している集落は例外なく、奥深くまで襲われている

それでいて島は残り、大震災のたたずまいを見せている

自然は残り、人工の者が壊滅している

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如意輪寺北側の山門

一日も早く復興の足掛かりをつくるのが政治の責任である。そして復興には後藤新平という「歴史の鑑」がある

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桜はほとんどが開花していない
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1923年9月1日の関東大震災では10万人以上がなくなり、

465,000世帯が火災などで失われた。加藤友三郎首相が亡くなり、山本権兵衛内閣が発足する前の政治の空白の中で起きた

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組閣方法をめぐって山本首相と激しく対立していた後藤新平だったが、「筝ここに至っては、もはやすべての行きがかりを放擲して入閣するほかはない」として翌2日、内相として入閣している
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「完全なる新式年を造る絶好の機会」として、新任式を終えて帰宅するやその夜のうちに「帝都復興根本策を」まとめた
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6日には「帝都復興ノ議」として留保付であったが、閣議決定した。30億とも40億ともいわれた復興案は財源論無き大風呂敷の理想論として、最終的には7億円余りに規模縮小を余儀なくされたが、この復興案によって今日の東京の骨格は造られた。昭和通や靖国通りなどの近代的幹線道路、日本初の臨川公園である隅田公園、117の小学校の鉄筋・不燃化・・・。数え上げれば切がないという
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隅田川にかかる5大橋は、まず画家に橋の絵を描かせて陳列、文学者や思想家、建築家に批評を求め設計させたという

「世界的に見てもこれだけ画然と災害から復興を果たした例はない」といわれる所以である

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今回の大震災と関東大震災の違いは、東日本大震災は極めて広範囲で原発が重なり、第1次産業が壊滅的な打撃を受けている。一概に重ね合わせて考えることは慎重でなければならない
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しかし、これを機に新しい東日本を造り上げていくという大きなビジョンを持ち、政争を超えて、新たな復興税の創設も含めて勇気をもって国民の理解を求めていくという点で、後藤新平から学ぶことはあまりに多いだろう
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4月9日、読売新聞「大震災の政治学」から抜粋

小生は、後藤新平が正力松太郎を口説き落とした点を大きく評価している

吉野の桜よ!復興を見守って合格