如意輪寺の枝垂れ桜をとくとご鑑賞下さい
戦争中は大変だったらしい
10万本の桜木を育てていたオヤジ(15代目藤右衛門)は中国大陸からヨーロッパまで続く鉄道の計画があり、沿線に100万本の桜並木をつくろうと考え、本気で取り組んだらしい
軍の仕事で2000本の桜を上海に植えに行ったという
戦後、中国側が日本のシンボルである桜を憎み、伐採したという
同期の桜は「日本の唱歌」下巻によると、元歌は西条八十作詞、大村能章作曲の「二輪の桜」で、39年にキングレコードから発売された
人間魚雷「回転」搭乗員の帖佐裕が替え歌にした
44年、桜を植えていた農地を食糧増産の為に差し出すよう命令され、桜木は切り倒されたオヤジが手塩にかけた育てた桜やから、身を切るようにつらかったやろうね
ただし、祖父の代から集めた70本ほどの貴重な品種だけ、ひそかに残しました
「切るのも国のため、残すのも国のため」というとりましたな
読売新聞「時代の証言者」より抜粋




