「天勾践を空しゅすること莫れ 時に范蠡無きにしも非ず」

元弘の変に敗れ隠岐に流される途中の後醍醐天皇に、忠義の武士「児島高徳」が送った十字の詩

天は勾践(中国春秋時代の王)に対するように決して帝をお見捨てになることはありません。必ずや范蠡のような忠臣が現れ帝をお助けすることでしょう。どうかご安心ください!との意

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義経との別れる舞台となった勝手神社

静御前はここで舞を踊り、義経の無事と再会を祈ったのだろう

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喜蔵院の孔雀。人の言葉が分かるらしい

児島高穂は備前の土豪で、後醍醐天皇の隠岐配流の際、天皇を救い出そうとして行在所・美作守護館に単身潜入したが厳戒な警護に断念し、傍らにあった桜の木にこの句を刻み込んだ

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桜本坊

翌朝この文字を見て、漢詩の読めない警護兵が騒ぐ中で、後醍醐天皇だけがその意味を理解されたという

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11:18、喜蔵院前の山桜
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桜本坊境内にある枝垂桜の枯れ木から若木が育ち花を咲かせていた
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知人から送られてきた2句

「木莬(づく)鳴きて虚ろな胸に浸みてゆく」

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「空席のぽっかり大きな炉端かな」
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吉野山の桜守紺谷与三一氏は桜守になるまでは桜に特別の感情をもたなかった

きっと毎年春に花を咲かせるのが当然、と考えていたからだと思う。世話を始めてから、当たり前のことを続けることがどれほど大変かを痛感した。今では桜を大事な孫のように、愛おしく思っている、という

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いつも華やいだ気持ちになれる春なのに、今年は違った。被災地で幼い子供が避難所を回って行方不明のパパとママを必死に探していることを知り、涙が止まらなくなった

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太鼓と戯れる子供

被災者が塗炭の苦しみを味わっているのに、なぜ私は桜の世話をしているのだろう。そんなことを初めて考えたが、私には桜守しかできない

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被災地の方に届くような見事な桜を咲かせたいと思う

来年も、再来年も、その先も

吉野の桜は世界一、日本の宝。誇りを胸に、私は精いっぱい働く、と