正月2日、御陣乗太鼓打ち初め神事を参拝した。普段は面を被って打つ太鼓なので、素顔で打っているところを見ることはほとんどない
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御陣乗太鼓保存会が結成50周年にあたり年史を発行した。今寺研治会長は巻頭で、「名舟に伝わる御陣乗太鼓が世に出るようになってから半世紀。私が子供の頃、外国へ太鼓をたたきに行くってすごいなあ!と思った
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それまでは、窮屈な山車の上で打ってきた太鼓を広い舞台で打つようにする工夫は並大抵ではなかったろう

家業と二足のワラジで頑張ってこられた演技者諸兄の熱い思いに感謝する

右の打ち手は兄の同級生K氏

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御陣乗太鼓の原点は、あの上杉軍に対抗する手段として考え出したものと伝えられている。軍師や武器を持たない村人が力を合わせて巨大軍団を追い払った
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海藻や木の皮を使おうとか、相手の肝を冷やすような威嚇の所作をしようなどと自分たちで考え、一人一人がその役割を個性的に演じながら、村人が心を一つにして立ち向かいました
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先人の知恵と胆力、そして行動力は相当なものと思われる。以来4百数十年、この知恵と胆力を結束力は私たち名舟区民の中に脈々と受け継がれている

これからも技能、精神とも磨いてまいります、と。

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名舟の地名の由来は二説あり、一つは名は姓または国を表すことから「舟の国」、名舟となった。もう一つは義経伝説で、義経が平泉へ逃避行の途中、この土地の娘に懸想した。その娘の名を「名の舟」といったところから名舟の地名になった
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名舟の小集落は、山の方に箱根、高巣があり、海岸線には谷内出、西出、向地がある。山と海岸線の中間に堂田池、上出が位置する
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寺院は名舟寺、林敬寺の二ヶ寺、神社は箱根の宮、叢祠、白山比咩、奥津比咩が合わさって1社となっている
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戸数は、かっては百を越えていたが、徐々に減少している。目の前の海は、古くは舳倉島、七ッ島を有していた
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東には白崎が突出し、北東の風(アイの風)を防いでいる
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西の方は、西出川河口から七ッ島に向かって松林が突出していたため、西からの風(クダリの波風)を防ぐことができた
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そのため天然の良港ができ、舳倉島や七ッ島まで出かけて魚や海藻、トドなどの海獣も捕っていた
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砂浜も広がり塩田も多数並んでいたが海岸浸食により、クダリの波風を防ぐ松林も波に削られ砂浜がなくなった
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天然の良港だった船着き場もなってしまった。これによって海運業や、舳倉島、七ッ島への出漁も減っていき、明治33年に海士町の所有となった
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11時に始まった30分の神事と、30分の打ち初め式が、12時無事お開きとなった