帰宅して麻雀に興じ、夜は「がんこ三田の里」で夕食会。門をくぐると行灯が玄関まで燈されていて風情がある。
表札に大原邸とある。鎌倉時代の文永年間、紀伊の句にから来住し、大原村と川除村を所領していた、大原上野守宗隆という豪族がいた。この方が当屋敷の大原氏の祖先にあたる。
貴志城主のもとへ嫁いだ宗隆の一人娘は信仰心が篤く、父の死後、郷里の菩提寺「青原寺」でその菩提を弔うため大般若経600巻を写経したという。
「瑞気満堂」 奉秋
3文字目は何と書いてあるのでしょうか?「如日之升」でしょうか?
表札に大原邸とある。鎌倉時代の文永年間、紀伊の句にから来住し、大原村と川除村を所領していた、大原上野守宗隆という豪族がいた。この方が当屋敷の大原氏の祖先にあたる。
貴志城主のもとへ嫁いだ宗隆の一人娘は信仰心が篤く、父の死後、郷里の菩提寺「青原寺」でその菩提を弔うため大般若経600巻を写経したという。
「瑞気満堂」 奉秋
3文字目は何と書いてあるのでしょうか?「如日之升」でしょうか?
いまなお、大原城跡の曲輪や土塁が残る当地に、「がんこ・三田の里」がある。
大原氏の先祖は「宇多天皇」の流れをくみ、1264年当地の開拓領主で、別名「姫山城」の城主・大原守隆。
大原一族は、のちに播州三木に移り小原氏と名乗る。




