ただ今から、元気ボーイ君が乗船して、寸劇「三笠物語り~海ゆかば~」の公演が始まります。

日本艦隊は戦艦6隻・巡洋艦6隻を基幹とする日本艦隊96隻は、戦艦8隻、巡洋艦6隻を基幹とし船艇29隻・運送船9隻からなるバルチック艦隊を対馬沖に迎え討ち、5月27日・28日の日本海戦において19隻(戦艦6・装甲巡洋艦3・海防艦1・巡洋艦1・駆逐艦4・その他4)を撃沈した。さらに7隻(戦艦2・海防艦2・装甲巡洋艦1・その他2)を捕獲または抑留し、主力である戦艦・装甲巡洋艦・海防艦を全滅させた。

山彦耀のブログ
この戦いでロシア側の戦死者は4,545人、捕虜は6,106人の多数に上りましたが、日本側の戦死者は116人で、喪失戦艦は水雷艇3隻のみでした。日本海海戦で日本は史上例を見ない大勝利を収め、ロシアは戦意を失い講和の機運が高まり、アメリカ大統領の仲介でポーツマス講和条約が締結された。
山彦耀のブログ

①連合艦隊の編成

日露関係が険悪化し一色即発の情勢になり、明治36年12月、第一艦隊・第二艦隊・第三艦隊が編成され、連合艦隊司令長官に東郷平八郎中将(翌年大将に昇任)が任命されました。参謀長・加藤友三郎少将、作戦参謀・秋山真之少佐などが東郷司令長官を補佐し、また第二司令長官には上村彦之丞中将、第三司令長官には片岡七郎中将が任命された。兵力は、日本の総排水量233,200トンに対し、ロシアは191,000トンでした。

山彦耀のブログ

勝利に導いた大作戦:東郷ターン(T字戦法)

バルチック艦隊に対して戦術的に優位に立つ為、連合艦隊は数年前から練りに練ってきたT字戦法、いわゆる敵前大回頭を敢行する。後にうたわれる東郷ターンだ。敵前で日本艦隊がターンしてT字の横棒となり、縦棒をなす敵艦隊の頭を抑えつける形で進路を阻みます。縦列のロシア艦隊の後半部分は距離が遠く有効確実な砲撃は出来なくなる為、日本艦隊は敵艦の先頭部分に一斉射撃を集中し各個攻撃破を行うことができる。さらには第2艦隊と共にバルチック艦隊を挟撃し完膚なきまでに撃滅した。

山彦耀のブログ

「日清戦争・三国干渉」

朝鮮の自主独立を目指す独立派を援助する日本と、朝鮮は自国の属国と主張する清国との間の対立が激化し、日清戦争が起こった。日本が圧勝し、下関で日清講和条約が締結され、台湾、遼東半島の割譲、賠償金の支払いなどが決まった。しかし、ロシア・ドイツ・フランスの三国は、遼東半島を日本が有することは東洋の平和に有害であり、清国に変換するように強硬に迫りました。ロシアは三国干渉後、政治・経済・軍事の全ての面で朝鮮に対し影響力を強め軍事基地などを設け、着実に支配地域の拡大を図った。ロシアは旅順や大連の防備を固め、朝鮮半島に対する野望をあらわにした。ロシアの対応は極めて不誠実で、さらに兵力を増強した。

山彦耀のブログ

日本軍は旅順港閉塞作戦や旅順港の攻防(203高地攻めなど)、蔚山沖海戦でロシア軍を撃滅、ロシアは苦戦する太平洋艦隊を支援するため日本海に向けバルチック艦隊を発進させた。連合艦隊は日夜厳しい訓練を実施しつつ待ち構えた。

午後1時39分、南西方13kmに2列縦隊のバルチック艦隊を発見。東郷司令長官は1時55分「天気晴朗ナレド波高シ、皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ」のZ旗信号を掲げ、2時2分針路を南西に転じて左舷反攻の体制をとり南下近接を開始した。三笠艦橋の東郷司令長官は、皇太子殿下から拝領の名刀「一文字吉房」を左手に急速に近づく敵艦隊を見つめ、敵の先頭を圧迫する転舵の好機を待ち2時5分、敵との距離8kmにおいて左大回転、いわゆる東郷ターンを下令した。