石川県指定無形文化財「名船御陣乗太鼓」・・・昭和38年7月3日指定。
奥津姫神社への参詣階段。ちょうど100段ある。急勾配で少し怖い。今は中央に手すりが付けられている。
戦国時代、能登攻めを行った上杉謙信が、各地を次々と攻略し名船にも上陸しようとした。農漁民は海藻や木の皮で作った仮面をつけ、陣太鼓を打ち鳴らして退散させた。
境内から名船港、南志見浦、白崎、岩倉山を望む。
この坂を御陣乗太鼓を打ち鳴らしながら、車を引き境内まで上がってくる。
この戦勝は舳倉島に鎮座する産土神の御神徳によるものと崇敬の念篤く、以後名船町の例大祭(7月31日~8月1日)に仮面を付けて太鼓を打ち鳴らして神輿渡御の先駆をつとめ、氏神へ感謝する習わしが、今も連綿と続いている。
例大祭では舳倉島の奥津比咩神を海上に立つ鳥居まで送迎し、御陣乗太鼓を勇壮に打ち鳴らす。
この太鼓の特徴は、初めはゆっくり、次いでやや早く、最後は最も早く打ち切る。即ち、序・破・急の三段で打ち、打ち手は自由な形で「見えを切り」、面に応じたしぐさで個性的な芸を取り入れている。
これは非常に早いテンポで動きが激しく、各地の太鼓に比べ、リズム、所作等が醸し出す異様な雰囲気には、一種独特なものがあり、心に食い込んでくる迫力に圧倒される。
天正4年、謙信は七尾城を攻略し、その余勢をかって能登平定の駒を進めた。当寺、名船村は舳倉島、七つ島を有し山海の宝庫であったが、迫り来る合戦練磨の上杉勢を前にし農民漁民の集まりでは勝敗は明らか。
しかい郷土愛の一念から古老の指示に従い、木の皮で面を造り、海藻を髪として夜陰に乗じ太鼓を打ち鳴らし夜襲をかけた。
これを見た上杉勢は奇怪な様に物の怪か、神の化身かと、驚き惑い余儀なく退散したと伝える。上の写真の碑石は当時の山城・名船城(赤城)の門石ある。









