角倉了以4日、大悲閣を訪ねた。山門に角倉了以の像が掛けられていた。河川工事に協力した人々の菩提を弔うため、嵯峨中院の千光寺の名跡を移して創建したのが角倉了以。法衣姿で石割斧を持ち、片膝を立て大綱の上に座し、大堰川(保津川)の安全を見守っている。 また了以の嫡子・素庵は父に協力し実務に従事、業績を挙げるかたわら、儒学者、芸術家としても活躍し、嵯峨本の制作者としても有名。