今日の読売新聞日曜版。福島県三春町生まれの田部井淳子さんは、薄緑から濃い緑へと続くグランデーションが美しく、「山笑う」とはこういうことかと思わせられます。その中にいるだけで、ざわついた気持ちが消えていくのです。
・子供の頃から体が弱く、小学生時代は扁桃腺をはらしてよく休んだという。4年から6年までの担任の先生が、俺は「カッパ」と言ってカッパの話をよく聞かせてくれたという。あとで上高地の河童橋のことだと分かったという。
・その担任の先生が4年生の夏休みの時に2泊3日で那須連山・茶臼岳に連れて行ってもらったのが初めての登山体験となった。「ゆっくりでいいんだよ」。先生のの言葉を励みに一歩一歩登り、頂上に着いた時は「ヤッター!」と叫んでいた。
・山は私が嫌いな競争がない。ゆっくりでも、自分の足で歩いていけば山の上に立つことが出来る。しかし、どんなに苦しくても山では選手交代がないことも、その時私は知りました。
・それから60年。その時の気持ちが忘れられなくて、今も知らない場所、見たことのない風景を求めて山に登っているという。先生に出会っていなければ、今の私はなかったかもしれません。
・先生は昨年の春、亡くなる前日桜を見て、大好きなお酒を召し上がって84歳の生涯を閉じられたと記されていました。(お名前は渡辺俊太郎先生)