5月23日朝、雨が降る新和歌の浦を立ち、和歌山城を見学に続き岸和田城へ立ち寄った。24号線沿いに立つ岸和田城、いつも遠目に眺めるばかりだったが、今回立ち寄る機会を得た。

築城の時期や誰が建てたのか詳しいことは分かっていないだけに興味がそそる。

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雨が降りしきる中、傘をさしながらの撮影。

はっきり分かっているのは、戦国末期(6世紀半ば)には当時泉州地区を治めていた松浦氏の居城であったことから。

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建武元年(1334年)楠正成の一族・和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、岸和田の地名の由来となった。山彦耀のブログ

その後、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏と代わり、寛永17年(1640年)岡部宣勝が入城、以来13代続き明治を迎えた。
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岸和田城の別称は猪伏山榺城。榺とは機のたて糸をまく器具で、本丸と二の丸を重ねた形が、榺に似ているところから由来していると言われている。また「千亀利城」「蟹亀利城」とも書かれる。山彦耀のブログ

文政10年(1827年)、雷火により5層の天守閣が焼失し、昭和29年の3層の天守閣が復興された。

八陣の庭:一風変わった作りの庭。諸葛孔明の八陣法をテーマに、大将を中心に天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇の各陣を配したものです。和歌山県沖の島産の緑泥片岩を用いた石組を京都白川産の白砂で囲み、これに砂紋を描いて海中の蓬莱を表現し、上空からの俯瞰をも意識した設計となっている。

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藩主岡部氏は駿河の国志太郡岡部郷を本拠とする武士であった。さらに遡れば藤原一族の下級貴族であった。平安時代に国司として駿河の国へ赴任し、そのまま岡部郷に土着したと言われている。

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戦国時代は駿河国守護今川氏の家臣となり、その後武田氏に仕えたのち、徳川家康の家臣となった。

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百間堀

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堀の水面には蓮の花が。
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