5月23日朝から雨が降る中、和歌山城を訪ねた。

和歌山城は別名「虎伏山・竹垣城」と称せられた。

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天正13年(1585年)秀吉によって創建。元和5年(1619年)家康の10子頼宣が紀勢55万5千石に封ぜられて以来、14代235周年間幕府の親藩紀州徳川氏の居城となる。

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昭和20年戦火に焼失し、昭和33年に復元された。天主は標高74.5m。

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城外の見どころは、城北には家老や直参の家臣の居宅や時鐘屋敷跡、納屋河岸、商家、評定所などがある。城東には陸奥宗光銅像や百閒長屋跡、町奉行所跡、大立寺(吉宗生母の墓)などがある。城南には近代美術館、県立博物館、時鐘堂、報恩寺(紀州徳川家ゆかりの女性達の墓がある。城西には藩校跡、寄合町、医学館跡、県庁がある。

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「紀州はよい国日のひかり」と西条八十が作詞し歌碑となっている。

日本の城番付。東の大関は金沢城102万石、関脇は仙台城62万石、小結は福岡城52万石。西の大関は鹿児島城77万石、関脇は熊本城54万石、小結は広島城42万石・・・以下は下記の通り。

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城外に通ずる地下道が設けられている。立ち入り禁止であった。

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「五月雨の雲のたえまをながめつつ窓より西は月を待つかな」・・・吉宗

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吉宗は紀州二代藩主光貞の四男として生まれた。兄たちの相次ぐ急逝で紀州藩主となる。33歳の時に8代将軍となった。

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目安箱、養生所、江戸火消などを設置し名将軍の誉れ高かった。

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キリスト教を除く洋書を解禁し、医学、天文学の発展に大きく貢献した。木綿を着用し、食事も一日二食の一汁二菜。

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朝は庭に設置した計器で雨量を測定し、昼は地図をながめ、夜は星を愛した。享保の改革を断行し、その後の寛政の改革、天保の改革の手本となった。