この階段を登りつめると花矢倉。奥駈道の標識があり、大峰山脈を縦走すれば熊野大社から新宮速玉大社に至る。
この花矢倉は佐藤忠信が義経を落ち延びさせるために、一人踏みとどまり追いすがる敵を切り防いだ戦場として有名。
佐藤忠信は平泉の藤原秀衡のもとに身を寄せていた時、兄継信とともに、義経の家来になった。攻めくる敵を追い散らした後、命ながらえて京都へ潜入し身を隠していたところを襲われ28歳で亡くなったと義経記は伝えています。
この場所から燃え立つ桜色の景色が見れるのですが、残念ながら1週間早かったですね。見頃は10日・11日でしたね。
ここはなほ 丹生の社にほど近し 祈らば晴れる五月雨の空・・・後醍醐天皇





