15日仕事の途上、寺田屋の傍を通った。大河ドラマで「龍馬伝」をやっていることもあり写真に収めた。以前、タクシーの運転手さんに、龍馬は情熱的な男だったようだと。市内から11kmもある道のりをお龍さん会いに通い詰めたという。タクシーもない時代の夜道を歩くことは容易ではない。
山彦耀のブログ
お龍さんと出合ったのは1864年、龍馬30歳の時。翌年31歳の時、寺田屋を定宿とするようになった。32歳の時、寺田屋事件が起きた。1月22日、薩長同盟が締結された2日後の夜、寺田屋に滞在していたところを伏見奉行所の捕方に囲まれますが、入浴中であった恋人・お龍が、裸同然で階段を駆け上がって危機を知らせたため難を逃れました。翌月2月に二人は結婚。九州へ新婚旅行に出る。

山彦耀のブログ


1867年4月、33歳の龍馬は海援隊長に。6月長崎から大阪へ向かう船中で後藤象二郎に「船中八索」を示す。6月15日寺田屋から酢屋に宿を替える。10月13日、酢屋から近江屋に宿を替える。11月15日・誕生日に近江屋にて刺客に襲撃され死亡。お龍とは知り合って4年足らず、夫婦になって2年足らずの短い出会いであった。

山彦耀のブログ

「世の人はわれを 何と言はばいへ わがなすことは我のみぞ知る」

医師の楢崎将作の長女として京都に生まれた。父の将作は井伊直弼の大獄で捕らえられ獄死している。幼い4人の弟妹を養うため料理屋で働いた。

1861年生まれで、龍馬より6歳年下。その後、天誅組の賄いとなる、天誅組が幕府から追悼を受けると各地を放浪する。この時に龍馬と出会う。

龍馬から自由奔放なところを気にいられ恋仲となり、寺田屋に奉公することになったという。

近江屋事件の時、豪商の伊藤助大夫のもとにいて難を逃れた。

その後、東京に出て西村松兵衛と出会い30歳の時に再婚する。34歳の時に男児出産するが、17歳で死去する。晩年はアルコール依存症になり横須賀で66歳で死去する。

夫・西村松兵衛が墓を作り、墓碑には贈正4位・坂本龍馬の妻・龍子と刻んでいる。

龍馬の眠る京都霊山護国神社にも分骨された。


山彦耀のブログ

今は、観光名所となり何時しか龍馬は寺田屋の主となっていた。

小生も龍馬になりたい!お龍さんに出会いたい!

山彦耀のブログ