昨年もこの時期に訪ね、ここで梅を撮影した。ブログでも紹介している。
圓照寺は臨済宗妙心寺派の尼寺。山号は普門山、本尊は如意輪観音。斑鳩の中宮寺、左保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院。知人のUさん(故人)のお父様がここのご典医だったと聞いている。華道・山村流の家元でもある。
ミツマタが見頃を迎えていた。
サンシュも見頃であった。
1640年(宝永17年)、後水尾天皇の第一皇女であった文智女王が22歳で仏頂国師を師として出家し、大通文智となった。翌寛永18年、京都の修学院の地に草庵を結んだのが圓照寺の始まりである。寛文9年(1669年)現在の山村に移転した。
雨水を享けてサンシュも黄金色に耀いていた。
歴代門跡
初代 後水尾天王皇女(文智女王の創建)
2代 零元天王皇女
3代 零元天王皇女
4代 桜町天王皇女(有栖川宮)
5代 光格天王皇女(有栖川宮)
6代 孝明天王皇女(伏見宮)
7代
8代
9代 近衛忠煕・旧侯爵養女
10代 山本実康・旧子爵養女(靜山・大慈心院靜山尼大禅師)
11代 村上亮順
※近衛忠煕は天章院を養女とし家定に嫁がせている。
梅も見納めか!
小生の直感では10代門跡の靜山が聡子のモデルではないかと・・・。この方は、三笠宮崇仁親王の双子の姉妹(絲子内親王)という説もあるが定かではない。
圓照寺を取材に訪れた三島由紀夫は、「この世のものとは思えない程の気品で、ただ絶世の一語に尽きる」と、その美貌を讃えている。
主人公・松枝清顕が幼少期に貴族の綾倉家に行儀見習いとして預けられていた。綾倉家の一人娘で幼馴染の聡子と禁断の恋に落ちるが、叶わず、20歳で病死する。滝の下で会うという言葉を遺す。聡子は清顕より2歳年上で姉弟のように育った。本堂(円通殿)は萱ぶきで、奈良県の指定文化財。
書院は寝殿造り、唐破風の玄関あり。
宸殿は紫宸殿の古材で建てたとされる。
奥御殿・葉帰庵、水尾天皇像などがあります。
復路、参道に紫の花(ヒメスミレ?カキドオシ?アメリカフウロ?)が咲いていました。






