3月7日、奈良市の山村圓照寺を訪ねた。小雨がぱらつき寒い1日であった。小生が最初にここに訪れたのは昭和47年3月早春だった。三島由紀夫が前の年の11月割腹自殺をして4ヶ月後だった。小説では月修寺とあり、圓照寺が本当に存在するのかも調べもせず訪ねた。原作の通り、まずJR帯解駅から山門へ歩いた。30分位で着いたと思う。そこからさらに20分程坂道を登った所に、圓照寺がひっそりと佇んでいた。山門からの参道には松が植えられており、南側の畑には紅白の梅、ピンクの桃の花、白い梨の花が咲き誇っていたことを鮮明に覚えている。
侯爵家の嫡男・二十歳の松枝清顕は、恋慕する伯爵家の綾倉聡子に会うために何回もこの参道を通い詰めた。厳寒の雪道を松並木を思念しながら歩く情景が原作に書かれている。小生も主人公になったつもりで坂道を上ったものだ。
参道に建てられている石碑
三島由紀夫に魅せられ、割腹自殺の後、輪廻転生を描いた豊饒の海・全4巻を読破し衝撃を受けた。松枝清顕が聡子に会うために何回も通った松並木の参道を歩いた時は感動的だった。将来、作者と同じ年齢になったら読みなおそうと思って本棚に遺した。その年齢なった時に探したが、家人に処分されたしまったようだ。装飾が施された冊子だっただけに残念に思う。
復路、多くのご婦人がこの坂道を歩いて登ってきた。この日は山村流華道の研修会が開かれるとかで、東京初め全国各地から集まって来られると、参加者の一人が仰っていました。山門からは寺関係者と地元住民以外の車は侵入禁止。華道の会員の皆様も山門からは歩かなければならないようだ。山仲間のOさんも会員だといっておられた。
当時は無料で拝観が出来たが、今は非公開寺院の為、拝観不可となっている。生け花などのイベントがある時は人出が多いのでしょうが、普段は人の気配は少ない。当時、本堂の軒先で寺の方(160センチ位細身で物静か)に色々お話をお伺いしました。昭和39年~40年にかけて三島由紀夫が何回も当寺を訪れ取材を受けたこと等、色々話して下さいました。御存命なら90歳ぐらいでしょうか。
やはり月修寺は存在したのだ。三島由紀夫は徹底した取材に基づいて構想を練り書きあげる作家なのだ。「潮騒」の舞台となった神島を訪ねた時も、魚業組合長の家に1カ月泊まり込みで取材している。それも朝食を済ませるや日暮れまで島内を取材、神島灯台には毎日通っていたという。




